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うんこの語源。

うんこの語源について語る際に避けて通れない言葉がある。それは似たような言葉「チンコ」である。ちんこは漢字で書くと朕子となる。この言葉は古くは奈良時代初期に編纂された古事記に見ることができる。これは日本という国が伊弉丑尊 (いざなみのみこと)と伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)の性交によって生まれるのであるが、その下りに朕子という言葉が出てくる。それは男性の生殖器そのものの表現であるが、編纂当時はチンコという言葉は皇族の特に天皇の生殖器をあらわし、その由来は諸説あるが、朕という表現が皇帝や天皇が自分のことを朕ということからもわかるように、チンコのチンは天皇をあらわし、その性交によって日本という国が生まれる。つまり子が生まれるわけである。チンコのコは子となる。「朕の子」それが短くなりチンコとなった。そしてこの朕子は当時の土着信仰の一つである男根崇拝、引いては神道において神として崇められていたのだ。初期においてチンコという言葉は皇族のみに使うことが許されたのであったし、そもそも一般人はその言葉を知る機会が無かった。ではどうやって今、この言葉がこんなにも広まったのだろうか?チンコという言葉が皇族以外の人間が使ったことが記されている最初の書物は、鎌倉末期の随筆。 吉田兼好が著した「徒然草」で初めて登場する。それは吉田兼好が能登に流刑に処された際、妻であるお唐から京からついた手紙について回想する下りでお唐が吉田兼好の男根を恋しがった際に、平仮名で「ちんこ」という記述があるのだ。そもそも平仮名は女性が使う言葉であったため、漢字ではなく平仮名で記したようだ。そしてこの徒然草は鎌倉時代末期の随筆であるため、幕府という武家が支配する体制になってから久しいため、武家の立場が強くなっていくと同時に、皇族や貴族での間でしか使われなかった言葉が徐々にではあるが、武士をとうして庶民の間にも広まってきたのである。そうやってちんこという言葉が使われることになって久しい。

さて、本題に入る。「うんこ」の語源であるが、これは享和 2‐文化 6に刊行された十返舎一九の著した滑稽本「東海道中膝栗毛」に出てくる。弥次郎兵衛と喜多八が江戸から東海道を京都へと行く珍道中を描いた作品である。そして宿場町の一つである沼津に宿をとった時に、登場する。当時のトイレは江戸において、既に公衆便所というものがり、庶民はここで用を足し、同時に憩いの場であった。そして江戸は当時、水道が発達しており、公衆便所は水洗便所であった。水洗といっても用水路を引き、自然に流れるようにしたもので、今の水洗便所とはまたかなり違うものであるが、U字溝の上に仕切が幾つもあると思ってもらいたい。用を足す直接の姿は見られないようになっており、この時代にプライバシーに配慮した造りであるのは日本の誇るべきものである。この水道網の発達によって諸外国の大都市がコレラの大流行などによって大量の死者が出たときも、人口100万人を抱える世界有数の大都市であった江戸においてそんなに大きな事件と成らなかった所以である。話を戻すと、沼津において公衆便所で弥次郎兵衛がなぜ水が流れないのかといぶかる場面があり、それを確かめようと隣の喜多八が使っていた便所を見ると喜多八さんの大便があまりにも多く、それが水路の流れを堰き止めていたのであった。それを弥次郎兵衛が揶揄するのだが、そのときに、チンコという言葉に掛けて「うぬのこ(おまえの子供)は立派だなぁ」と洒落を言うのである。これが当時、「東海道中膝栗毛」の大ヒットとともに庶民がマネをして「うぬのこ」という言葉を使うようになり、それが短くなり現在の「うんこ」になるのである。

世界大ホラ辞典第二版より。

  by hosimango | 2005-04-21 10:15 | ホラ日記。

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