深夜の御巣鷹山。
去る8月13日日曜日の夜、会社の同僚たち6人と御巣鷹山へ。埼玉を午後1時頃出発し、レンタカーを駆り、群馬県上野村の道の駅上野村に到着したのは夕方6時過ぎのこと。休日の夕方だというのに道の駅の各サービスは終了しており、駐車場の車も疎ら。
これからの冒険の英気を養うため御巣鷹山の麓にある温泉へ。此処『しおじの湯』は今年3月にオープンしたばかりということもあり、夜7時過ぎという比較的遅い時間でしたが、なかなかの人出。ここで御巣鷹山登山の前の最後の食事を摂る。6人全員が地元の名産品いのぶたを使ったいのぶたカレーを食べる。
そうこうしているうちに辺りは夕暮れから、天気が曇りだったということもあり山々の稜線さえも見えなくなり文字通り漆黒の闇に。
PM19:50
ゆったりとした雰囲気の中、冗談半分に除霊の話など雑談していたところ、一度目のアクシデントが
同僚の腕時計が原因不明の故障
PM20:02
続けざまに、違う同僚がレンタカーの鍵を紛失
どなたかが、拾ってくださり事なきを得る
PM20:30
温泉からいよいよ出発しようと車に乗り込んだところ、周囲には民家もないのですがなぜだか車内にお香の香りが漂う
PM20:42
現地へ向かう途中、連続してトンネルが続いたのですが、そのうちの一つのトンネルだけ霧が発生。
携帯の電波なんてもちろん届かないはずが、6人のうちの一人だけメールが届く。車の周りはひたすら闇。車のライトに怯えるように立ちすくむ鹿や狸に何匹も遭遇。もはやライトを消せば何も見えない世界。所々、陥没したアスファルトの道路だけが、この山に人間が踏み込んだということの証のように横たわる。
上の写真は遭遇した鹿。
道も途切れ、いよいよ登頂。の前に御巣鷹山で21年前のちょうど昨日何が起こったのか現実を真摯に受け止めるため、同僚の用意したDVDで落ちるまでの飛行の航跡とフライトレコーダーを視聴。そして、PM10:00前後登頂開始。それまで曇っていた空から月明かりが覗きはじめた。
登りはじめてすぐ、同僚の一人が何モノかに頭を触られる。
発狂しそうになるほど静けさとどこまでも続く闇。そして、道中に所々にある犠牲者のお墓(これは犠牲者が発見された位置に建てられているようです) 6人の呼吸と足音だけが聞こえる中を1時間ほど登りようやく目的地の『昇魂の碑』に到着。
何事も無くと言い難いですが、兎に角、僕は自宅に無事着き今、こうしてPCで旅の記録を打ち込んでいるわけですが、人間の生きるという行為について思うこともありました。人間は本能的に生きるためつまり死を恐れる故に、食べ、寝、愛し、嘘をつき、ときには人を殺すことさえします。しかし本能で生きる動物は死という存在を知らない。動物も生きるために行動しているのに死後を想うことはないのです。この違いは何なのでしょうか。僅かな遺伝子配列がもたらすこの違いは。死後の世界があるかどうかは別にして、『昇魂の碑』を前にして人間というものについて考えさせられました。
これからの冒険の英気を養うため御巣鷹山の麓にある温泉へ。此処『しおじの湯』は今年3月にオープンしたばかりということもあり、夜7時過ぎという比較的遅い時間でしたが、なかなかの人出。ここで御巣鷹山登山の前の最後の食事を摂る。6人全員が地元の名産品いのぶたを使ったいのぶたカレーを食べる。
そうこうしているうちに辺りは夕暮れから、天気が曇りだったということもあり山々の稜線さえも見えなくなり文字通り漆黒の闇に。
PM19:50
ゆったりとした雰囲気の中、冗談半分に除霊の話など雑談していたところ、一度目のアクシデントが
同僚の腕時計が原因不明の故障
PM20:02
続けざまに、違う同僚がレンタカーの鍵を紛失
どなたかが、拾ってくださり事なきを得る
PM20:30
温泉からいよいよ出発しようと車に乗り込んだところ、周囲には民家もないのですがなぜだか車内にお香の香りが漂う
PM20:42
現地へ向かう途中、連続してトンネルが続いたのですが、そのうちの一つのトンネルだけ霧が発生。
携帯の電波なんてもちろん届かないはずが、6人のうちの一人だけメールが届く。車の周りはひたすら闇。車のライトに怯えるように立ちすくむ鹿や狸に何匹も遭遇。もはやライトを消せば何も見えない世界。所々、陥没したアスファルトの道路だけが、この山に人間が踏み込んだということの証のように横たわる。
上の写真は遭遇した鹿。
道も途切れ、いよいよ登頂。の前に御巣鷹山で21年前のちょうど昨日何が起こったのか現実を真摯に受け止めるため、同僚の用意したDVDで落ちるまでの飛行の航跡とフライトレコーダーを視聴。そして、PM10:00前後登頂開始。それまで曇っていた空から月明かりが覗きはじめた。
登りはじめてすぐ、同僚の一人が何モノかに頭を触られる。
発狂しそうになるほど静けさとどこまでも続く闇。そして、道中に所々にある犠牲者のお墓(これは犠牲者が発見された位置に建てられているようです) 6人の呼吸と足音だけが聞こえる中を1時間ほど登りようやく目的地の『昇魂の碑』に到着。
何事も無くと言い難いですが、兎に角、僕は自宅に無事着き今、こうしてPCで旅の記録を打ち込んでいるわけですが、人間の生きるという行為について思うこともありました。人間は本能的に生きるためつまり死を恐れる故に、食べ、寝、愛し、嘘をつき、ときには人を殺すことさえします。しかし本能で生きる動物は死という存在を知らない。動物も生きるために行動しているのに死後を想うことはないのです。この違いは何なのでしょうか。僅かな遺伝子配列がもたらすこの違いは。死後の世界があるかどうかは別にして、『昇魂の碑』を前にして人間というものについて考えさせられました。
by hosimango | 2006-08-15 10:47